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死後の世界は存在するのか? No.1

死後の世界は存在するのだろうか。これは未だ人類は解明できずにいることだから、結論は出ない。どんなに学びを深めても、最終的には信じるか、信じないか、という「信仰」の問題になってしまうのだろう。

しかし、死後の世界について学ぶことに意味がないわけではない。様々な本を読み、死について、あの世の実在性について考えた上で、信じるか、信じないかという「信仰」は選択されるべきである。

僕は死後の世界や臨死体験に関して書かれた本を生きている間に読み、考えない人は本当に残念なことをしていると思う。自分でじっくり勉強して、自分なりの結論を出してから、死にたい。

死んで、本当にあの世に行ってしまった時、死後の世界や霊魂について学んでおけば良かった、知っておけば良かったと後悔したくはない。

死後の世界について学び考えていきたい。僕の場合、霊魂や死後の世界は存在するという前提があるから、興味がある。存在するんだという信念にもっと確信を持ちたい。存在すると思うから、もっと知りたい。

「生きていくことの意味 トランスパーソナル心理学・9つのヒント」という本を読んでいたら、臨死体験について書かれた興味深い記述があったので、これから引用する。

生きていくことの意味―トランスパーソナル心理学・9つのヒント (PHP新書)

生きていくことの意味―トランスパーソナル心理学・9つのヒント (PHP新書)


"臨死体験は死後の世界をかいま見た体験であり、したがってそれは霊や魂、死後の世界の実在を証するものである"という"死後の世界=霊魂実在説"をとるか、あるいはそれは"幻覚"であり、"妄想であるとする"脳内現象説"をとるか、二派に分かれて活発な議論を展開しているのです。
今のところ圧倒的に人気が高いのは、"死後の世界=霊魂実在説"のほうです。しかし、立花隆さんのような良識派は、いずれが正しいとも言えない、決着は付かないらという立場をとっています。実際いずれの説にも根本的な欠陥があるからです。
まず、"死後の世界=霊魂実在説"に対する批判には、次のようなものがあります。臨死体験にはたしかに"暗いトンネルの通過"  "体外離脱"  "他者との出会い"  "光との出会い"  "人生のパノラマ的回顧" といった共通点があり、そしてそれらの出来事は "臨死体験=死にゆく瞬間のリアリティ"としてはたしかに認めることができる。
しかし、"死にゆく瞬間の体験"は、"死そのもの"とも、ましてや"死後の体験"とも明らかに異なっている。したがって臨死体験を、すぐさま死後の世界と直結させ、それを"死後の世界をかいま見た体験"と同定するのはあまりに大きな論理的飛躍である、と言うのです。
また、もう一方の"脳内現象説"に対しては、そのような還元論では体外離脱した臨死体験者が自分の家などに行き、普通に考えればとうてい不可能な情報を手に入れる、といった現象を説明できないではないか、という批判があります。
p211〜212

臨死体験とは、事故や病気で仮死状態になった人が、死後の世界とおぼしき光景をかいま見るといった体験のことをいう。
出典
29rinsi

臨死体験者の様々な証言は、死後の世界を証明する根拠として、リアリティに満ちており、あまりにも強烈だと思う。臨死体験者の体験報告は今では珍しいものではなく、世界中に沢山有るが、それらの問題点を指摘し続け、否定しようとすることは難しいことだ思う。

僕も臨死体験者の体験報告から、死後の世界についての確信を強めた。

疑うことはなかった。

しかし、「"死にゆく瞬間の体験"は、"死そのもの"とも、ましてや"死後の体験"とも明らかに異なっている」という一文を読んだ時、臨死体験の体験報告を根拠として信じることは、論理的には破綻しているのだと思った。

心情的には死に臨んだ体験と死んだ後の体験なんて同じものではないか、理性的過ぎると思う。死に限りなく近い。死んだ人にも会っているのだから、限りなく死に近い。臨死体験者は死人と同じ場に居た。死人と同じ世界にいた!

と叫びたい。

古い本からの引用なので、今はどのような議論がされているのかは分からない。恐らく、平行線のままだろう。

どちらにも根本的な欠陥があったとしても、人間の心情的に、死後の世界=霊魂実在説をとる人が多いと思う。

本稿で分かったことは、臨死体験には二つの説があり、どちらにも根本的な欠陥があり、どちらが正しいとも言えない、死後の世界とはそんなに簡単に証明できるものではない、ということだ!

これからも継続的に、死後の世界について考えていきたい。