三四郎ー漱石の社会批評

夏目漱石に最近はまっています。はまっているといっても、「こころ」と「三四郎」しかまだ読んでいません。両作共に無料アプリの青空文庫で読みました。意外と読みやすかったです。昔の文豪の作品は難しいとばかり思っていましたが、読んでみると、案外読みやすく、面白かったです。

思えば、青空文庫を初めて見つけた時、「わー本が無料で読めるー」と興奮しましたが、蓋を開ければ「なんだ、古臭い作品ばっかじゃーん」
と少し残念に思ったものです。しかし、少し年を取ると、昔はつまらないと思ってたものの価値に気づくものなのでしょう。

無料アプリ「青空文庫
「三四郎」は徹夜で一気に読みました。漱石の作品はどれもアニメや漫画、推理小説歴史小説などの軽く柔らかく歯と顎をあまり使わなくても食らえる作品・書と比べれば、斎藤孝氏のいう様な「顎を鍛える食らうべき書」でありました。



三四郎は、夏目漱石の「それから」、「門」へと続く前期三部作の一つです。






九州の田舎(福岡県の旧豊前側)から出てきた小川三四郎が、都会の様々な人との交流から得るさまざまな経験、恋愛模様が描かれている。三四郎や周囲の人々を通じて、当時の日本が批評される側面もある。三人称小説であるが、視点は三四郎に寄り添い、ときに三四郎の内面にはいる。
                                                      Wikiより

本作品は、三四郎の精神的成長を描いた日本で最初の教養小説としても名高いです。

教養小説(きょうようしょうせつ)とは、主人公が様々な体験を通して内面的に成長していく過程を描く小説のこと。ドイツ語のBildungsroman(ビルドゥングスロマーン)の訳語で、自己形成小説とも訳される。          
                                                    wikiより



1894年に始まった日清戦争は1895年に終わります。
そして、
1904年から始まった日露戦争は、
1905年に終結すします。どちらも日本の勝利となります。
そして、
この作品は、1908年の9月1日から12月29日にかけて朝日新聞に連載されました。


日清・日露での勝利により、日本が世界に一気に文明国としての実力を認めさせた時期に書かれています。

三四郎という一人の青年の精神的成長を描いた小説でありますが、日露戦争後の日本社会を批評している側面もあります。

特に心に残ったというより、引っ掛かった部分を引用します。

「おっかさんのいうことはなるべく聞いてあげるがよい。近ごろの青年は我々時代の青年と違って自我の意識が強すぎていけない。我々の書生をしているころには、する事なす事一として他を離れたことはなかった。すべてが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本位であった。
日露戦争以前を振り返ってみれば、日本は外国に契約させられた「不平等条約」を改正する為に強力な改革を推し進め、必死で国力を増強してきた時代でした。

王政復古の大号令から始まり、版籍奉還と地租改正、廃藩置県、徴兵制、近代的陸海軍の設立。

日清戦争の勝利、旅順での激戦、日本海海戦ー大国ロシアを破り世界を驚かせた日露戦争での勝利!!そして、日清・日露での勝利は幕末以来の悲願である条約改正へと結びつきます。

この歴史の流れから考えた時、ふと思いました。

漱石のこの文章から推測できることは、日露戦争以前の時代を生きた青年、書生は国家の為に駆り立てられたのではないかと。何故かって?
当時の日本は物凄いスピードで近代化を推し進めたましたから、一つの理由として富国強兵の為に大量の優秀な官僚が必要だっただからだと思います。官僚育成の為に「我々時代」の青年は「他本位」であったのではないかと読んでて勝手に推測しました。

日露戦争後の日本はどんな世の中だったのでしょうね。文明国としての実力を世界に認めさせ、日本の若者にも精神的余裕があったのかもしれません。少しは「自我の意識」を持って学生生活を送るような余裕が。


もう一つ漱石は何がいいたいのだろうと疑問に思った一文があります。


「うん、まだある。この二十世紀になってから妙なのが流行る。利他本位の内容を利己本位でみたすというむずかしいやり口なんだが、君そんな人に出会ったですか」
ここで、私の思考が駆け巡りました。

利他本位って何だ?
利他とはー自分を犠牲にして,他人に利
                              益を与えること。
本位とはー基本とするもの。

合わせると、

利他本位とはー自分を犠牲にして、他人に利益を与えることを基本とするもの。


ということになる。


利己本位とはその反対で、

利己とはー自分だけの利益をはかること。

だから、

利己本位とはー自分だけの利益をはかることを基本とするもの。

ということになる。

「利他本位の内容」でまず、政治家の仕事が頭に浮かびました。
政治家の仕事の内容は決して、「利己本位」ではありません。本質的に「利他本位」です。

例えば、法律を作る、国会で審議を行い予算を決定する、内閣総理大臣を選ぶ、議員として地元の有権者の意見に耳を傾けたり、演説をしたりetc....

そんなこと言ったら、社会の中で「仕事」と呼ばれるものに、本質的に「利他本位」でないものなんてないのですが。どの仕事も「利己本位」に走ってしまうような構造、性質を孕んでいたとしても、「働く」ことは本質的にに人の為、社会の為に役立たれるよう還元されていくものです。

「利他本位の内容を利己本位で満たす」という言葉の正確な意味は何なのか?それは、作者の漱石にしか分かりません。

私はこの言葉の意味は別の言葉を当てはめて、「利他本位の仕事を利己本位の動機で満たす」と理解しました。
その例を簡単に上げれば、政治家です。
国民の為にやらなければならない利他本位の仕事内容であっても、名誉欲、金銭欲、権力欲、ひっくるめて立身出世などの利己本位の動機で仕事をしている人が多いと思います。
動機は何であれ、その仕事を立派にしていれば良いと思いますが。さて、どうでしょう。

そんな政治家の例として橋本徹でもあげましょう。

橋本氏は著書「まっこう勝負!」でこう述べています。

「なんで『国民のために、お国のために』なんてケツの穴がかゆくなるようなことばかりいうんだ?政治家を志すっちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰だよ。自分の権力欲を達成する手段として、嫌々国民のため、お国のために奉仕しなければいけないわけよ。(略)ウソをつけない奴は政治家と弁護士にはなれないよ!」

これこそ当に、漱石のいう「利他本位の内容を利己本位でみたす」ではないか!!と私は思いましたとさ。 



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